しくじりおやじと学び〜人生を少しでもよりよく生きるために〜

40代のしくじり中年男が伝えたい、人生との向き合い方、学びの大切さ

表現に身を置くことの価値

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

今日は久しぶりに演劇を観に行きました。

内容は現在と過去が交錯するストーリーのため、

ちょっと難しく感じましたが、見応えはありました。

 

内容もさることながら、久しぶりに舞台を

鑑賞できたことが嬉しかったです。

 

今日の舞台は以前から知り合いの女優さんが

出演するのでお誘いしてくれましたが、

表現の世界に身を置く人というのは

とても魅力があるなあと改めて思いました。

 

かくいう私も高校時代から音楽をやったり、

大学時代には映画を作ったりと、表現に身を置いてきました。

まあ今も多少はやってますが、以前と比べると

活動量も情熱もずいぶんと低下しています。

 

低下の理由を歳のせいだとか、仕事のせいだとか

言いたくはありませんが、それもまた事実です。

 

30歳を前に実力のなさを感じ、それからは

趣味でバンドをやったりするぐらいとなりましたから

言えることでもありますが、

表現に身を置き続けるのはなかなか容易ではありません。

 

個人の領域でやり続けることはもちろんですが、

お客さんを集めて、お金を払って見てもらう。

そういう世界に身を置き続けるというのは、

表現以外の何かを犠牲にすることにもつながります。

 

それはもしかすると仕事かもしれませんし、

収入かもしれませんし、

妻子や親兄弟との関係かもしれませんし、

ひょっとすると人生そのものかもしれません。

 

みんながみんなそうした心づもりで活動している

わけではないでしょうけど、

でも、継続しているとそういう局面に迫られることは

十分に起こりえます。

 

歳を重ねると人生には色々なことが起こります。

失業、転勤、結婚、離婚、出産、育児、病気、事故、

家族や友人知人の不幸などなど。

 

そうした重大な出来事はその人の人生観を根本から

変える可能性をはらんでいますし、

だからこそ、表現というエネルギーを伴う作業からは

距離を置くことにもなりかねません。

いわば普通の生活を望みやすくもなります。

 

それでもなお表現を希求することは、

己のためであり、誰かのためでもあります。

 

私にとってそれは、敬意を表するに値することです。

 

表現することは、

金のためでもなく、生活のためでもなく、

己のためであり、誰かのためでもあります。

 

そうした生き方、無駄な生き方でしょうか?

ダメな生き方でしょうか?

もったいない生き方でしょうか?

 

金を稼げない人間に価値がないというのは、

ある一面から見た価値観にすぎません。

確かに稼得能力は大切なことですが、

人によっては稼得能力を投げ捨てて

己の信じる価値観を実践する人たちがいます。

 

それを生き様というのかもしれませんが、

ある人たちにとっては、稼得能力以上に

価値をもたらせてくれるかもしれません。

 

それではまた。