しくじりおやじと学び〜人生を少しでもよりよく生きるために〜

40代のしくじり中年男が伝えたい、人生との向き合い方、学びの大切さ

早くに人生の航路を決める潔さ

こんばんは。

しくじりおやじです。

 

今日はプロボクシングの世界戦がありました。

テレビで観ていましたが、打ち合い凄まじく実に迫力がありました。

結果、2人の日本人はどちらも勝利しました。

とてもおめでたいことです。

 

試合の内容もさることながら、私が驚くのは選手の若さです。

今日、見事に新王座を獲得した京口選手は若干23歳です。

世間でいえば大学新卒の年齢なので、これから社会人として

活躍していこうという年頃です。

 

ところがその若さで世界一の選手になるボクシング、

ひいてはスポーツのスピード感にはただただ驚きます。

スポーツの世界で30歳といえばベテランに近い域、

40歳といえば大ベテラン、もしくは引退していてもおかしくありません。

 

選手たちは幼い頃からスポーツ一筋で、遊ぶ暇もなくひたすら

スポーツに打ち込んでいきます。誰よりも強くなることを目指して。

そして、極めて優秀な選手は他の選手よりも抜きん出ていき、

その競技での一位、あるいはプロを目指すことになるのでしょう。

競技人生でいえば20〜30年といったところでしょうか。

スポーツという弱肉強食、優勝劣敗の世界でわずかな

勝ち組がいるその背後に、多数の敗者がいます。

しかし、ある意味で極めて凝縮された人生です。

だからこそ人を魅了するのでしょうね。

 

私の人生を振り返れば、この40数年間は

何事においてもとても中途半端だったと思わざるを得ません。

本気で何かをやり遂げたことなどあっただろうか。

いつも途中で諦めてしまっていたような気がします。

そしてずるずると生きてきた結果が、今に至っているのでしょう。

 

これ、他の誰でもなく、自分で選んだ結果なんです。

人生いろいろありますが、

己の人生を人のせいにして生きることはできませんし、

仮にそう思っていたとしても、それはそれで生きづらさを

招くだけのような気もします。

(ただし事故や犯罪に巻き込まれたというような例を除きます)

 

スポーツ選手は引退後の第2の人生を通常の人間よりも早くに迫られます。

その時スポーツ選手がどんな心境なのかは知る由もありませんが、

そこにはある種の潔さが漂っているような気がするのは、

いささか美化しすぎでしょうか。

 

こうしてスポーツ選手のことを書いていてふと気付きましたが、

私たちのような凡人はたとえしくじっても、人生を様々な形で

過ごすことができますし、多少であればやり直しもききます。

たいそうな生活を望むことは叶わないでしょうが、

なんとか暮らしていくことはできるでしょう。

たとえ凝縮された人生でないとしても、その人生の長さを考えれば、

少しくらいダラダラと過ごしたとしても罰は当たらないでしょう。

 

それが何の取り柄もない凡人の生きる術なのかもしれません。

 

それではまた。