しくじりおやじと学び〜人生を少しでもよりよく生きるために〜

40代のしくじり中年男が伝えたい、人生との向き合い方、学びの大切さ

神経質を和らげるには? ーしくじりと性格ー

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

前回の記事で、神経質の人はしくじりやすいということを書きました。

 

神経質な人の根っこには人への恐れがあるから、

人を近寄らせがたくしてしまい、

また、同時に自分も人に近寄りがたくなってしまっているんですね。

だから、人とうまく物事を行うのが苦手となり、孤立しやすかったり、

人に相談できないことでストレスを抱えやすくなります。

そして、しくじってしまいやすくなります。

 

タチの悪いことに、神経質な人は自身のそうした傾向に多少の自覚はありますが、

はっきりとそれを受け入れることができないので、

わかっちゃいるけどやめられない状態を続けてしまいます。

 

それでは本題に入りますが、

どうすれば神経質を和らげることができるんでしょうか。

 

まず、はっきり言って独力では無理です。

自分で和らげることができるのであれば、とっくにやっているでしょう。

また、本やネットで調べて、自身のそうした傾向を

よりよく知るだけでは限界があります。

 

私が実践したのは、

カウンセリングを勉強したことです。

 

もっと正確に言えば、カウンセリングを勉強したら

自分の神経質傾向に否が応でも向き合うこととなり、

それを受け入れた結果、徐々に和らいでいきました。

 

それでは、なぜカウンセリングを勉強したら

そうなれたのでしょうか?

 

カウンセリングの基本は、マンツーマンで人の話に耳を傾ける作業です。

そのほとんどは悩みや苦しみの類です。

そして、聴き役はそうした苦悩を受け入れて、

相手に寄り添うことが求められます。

つまり、カウンセラーは前提としてオープンな心持ちでいられなければ、

相手を受け入れることなどできないのです。

もしそうでなければ、話の途中で、相手に対してだんだんと

苛立ちや不快感を覚えていくことでしょう。

 

そもそも神経質な人は、他人を受け入れること自体が苦手です。

ましてや人の苦悩に寄り添うことなど、ますますできようはずがありません。

 

聴き役の聴き方次第で話し手に不安や不快感を与えてしまいますが、

それを痛感したエピソードがあります。

カウンセリング練習が終わると、話し手、そしてカウンセリングを傍観している人から

感想を言ってもらえるのですが、私は何度も顔が怖いと言われました(笑)

どうやら眉間にシワが寄っていて、表情が真剣すぎて、喋りづらいんだそうです。

話を必死に聴いている自らのみならず、相手さえも緊張させてしまうんですね。

 

でも、どうしてそうなってしまうのか

自分ではなかなかわからないままでいたところ、

先生からとどめの一撃を受けました。

 

「人が怖いの?」

 

その時、人生で初めて心を射抜かれた気がしました。

そうか、私は人を恐れていたのか………………………

だから、ぎこちなくなってしまうのか…………………

 

これで長年の謎が解けました。

なぜ神経質だとうまくいかないのか。

 

しかし、そんなまずい経験を踏んだことで、

自分がどういう風に人から見られているのかを

やっと知れた気がしました。

人から指摘されて、ついに気付くことができたんです。

 

そこからは否が応でも神経質な自分と向き合うこととなりました。

これは辛かったです。

そして、オープンマインドな状態を意識するようにしました。

 

そこで参考になったのが、身近にいるオープンな人です。

 

人を恐れず気丈に振る舞える人は私の憧れでした。

私にはないものを持っているので、とても羨ましいです。

だから、そういう人たちを参考にしました。

そして、振る舞いを意識づけることで本当に少しずつですが、

変えていくことができました。

そして今もまだ奮闘しています。

 

根の深い神経質傾向を完全に治すことはできないでしょうけど、

それでも、心がけと日々の実践で変えていくことはできます。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しくじるのは神経質だから? ーしくじりと性格ー

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

私はもともと神経質なんですが、最近はだいぶマシになりました。

でも、だからこそ強く思っていることがあります。

 

しくじる人、あるいはしくじりやすい人は、

神経質傾向が強い人である、と。

 

そして、神経質な人は世の中に沢山います。

 

そんなしくじりと神経質の関係について見ていく前に、

そもそも神経質な人の代表的な特徴を挙げてみます。

 

・常にピリピリしていて近寄りがたい

・振る舞いがぎこちない、緊張しているように見える

・音に対して過敏に反応する

・自然体でいるのが苦手

・表情が固い、眉間にシワが寄っている

・人へのガードが固い

・常に体が力んでいる

・そっけないので、人から冷たい印象を持たれる

・怒りっぽい

・自己開示が苦手

・他人や他人の言動を必要以上に気にする

 

ざっとこんな感じでしょうか。

特徴が多いですね。

しかも嫌な感じですよね。

ちなみにこれらは、私自身や友人知人を思い出して書きました(笑)

 

ご覧いただいてわかるかと思いますが、

要するに神経質というのは、

自分にも他人にも気にしいなんですね。

だから、過敏に反応したり、力んでしまったりするんです。

そして、結果としてガードが固くなり、人を近づけがたくしてしまうんです。

 

こうした神経質な人の背景には、ある大きな困難が潜んでいます。

それは、

 

無意識に人を恐れている

 

ということなんです。

 

つまり、

人を無意識に恐れる→体が自然と力む→表情や振る舞いがぎこちなくなる→他人に近寄りがたさを与えやすい→人から慕われづらくなる→人と距離感ができる→自己開示がしづらくなる→人に頼みごとや相談がしづらくなる→自分で問題を抱えてしまう→うまく物事を解決できなくなる→結果として、しくじる

 

このようなサイクルが起きやすいんです。

そうなれば、おわかりの通り、成功よりかは失敗を招きやすくなります。

 

そして、困ったことに神経質というのは、

本人に多少の自覚はあれども、はっきりとはわかっておらず、

しかも、そんな状態を受け入れていないんです。

だからこそ、わかっちゃいるけど克服しがたい状態が続くんですね。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

悩みのレベルは人それぞれ違う

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

誰しも悩みはあると思います。

悩みのない人はそうそういないでしょう。

 

ですが、その悩みが深くなるほど、共有することはとても難しくなると思います。

みなさんも自分の悩みを人に話したけど聞き入れてもらえなかったとか、

役に立たないアドバイスをもらってがっかりした、

などという経験はありませんか?

 

悩みを共有することが難しいと思う理由は、

・所詮他人のことだから

・相手の悩みを理解できないから

・共感できない悩みだから

・悩みを聞くのは面倒だから

など色々と考えられます。

 

また、人によっては相手の悩みに真剣に応えようとするあまり、

かえって疲れてしまったり、あるいは、悩みを打ち明けたら、

相談相手に説教されたり、批判や反論をされたりといった経験はありませんか?

 

これではお互いにいい思いがしませんし、

相手に対して否定的印象をもつことにもなりかねません。

 

私のように低所得で独身者の場合、例えばお金持ちや会社社長、

あるいは子を持つお母さんの悩みに応じることはできません。

逆に、そういった人たちが生活困窮者や引きこもり、

独身者などの悩みに応じることはできないとも思います。

 

悩みは悩みでも、双方の生活レベルや意識レベルがあまりに違っていると、

ずれた見解しか生まれないからだと考えます。

だから、家族でさえもすれ違いやズレが普通に生じてしまうのです。

 

そこに、アドバイスという余計なお節介が介入すると、

アドバイスをした側は良かれと思っていても、

アドバイスを受けた側は往々にしてがっかりさせられることが多くなります。

 

昨年カウンセリングの勉強をしましたが、そこで学んだことは、

わかったふりをしてアドバイスをするなど

決してやってはいけないということです。

 

それは相手を納得させるよりもむしろ、

困惑させたり立腹させたりすることになりかねません。

 

仮に私が、自分とはずいぶん立場の異なる人の悩みを

聞かなければならない場合にできることは、

ただ話を「聴く」ことだけだと思います。

 

そこで何かアドバイスをしようとしたらどうなるでしょう。

おそらく、ずれた見解に基づいた意見しか言えず、

相手も困惑することになるでしょう。

聞いてもらわない方が良かったと思われるかもしれません。

あと、元気付けようとやたらに励ますこともかえって

逆効果となる場合がありますので、注意が必要です。

 

それでは同レベルの人に話せば良いのかいうと、

それもうまくいく保証はありません。

なぜなら、やはり聞く力が備わっていない可能性があるからです。

 

それでは、誰に話せばいいんだとなりますが、

本当に深い悩みであれば、聞く力を備えた

専門家レベルの人間こそふさわしいと思います。

 

いわゆるカウンセリングを勉強した初級レベルの人から、

仕事で請け負っている上級レベルのプロフェッショナルな

カウンセラーまでいますが、当然レベルが高くなるほど、

聞く力の幅が広く、深い悩みに応じることができます。

 

悩みに応じるには、聞く人の能力が問われてしまうのです。

 

それではまた。

 

 

 

 

 

 

 

派遣労働について

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

2017年7月現在、登録型の常勤派遣社員として働いています。

 

登録型の派遣労働をご存知でない方のために簡単に説明しますと、

私の場合は半年間の雇用契約を派遣会社(派遣元)と結び、

その間の雇用が保証されるという仕組みです。

労働者がその後の契約更新を希望して、それが認められると

もう半年間は就労することができます。

 

仕事の内容や派遣会社によっては契約期間が3ヶ月だったり、

短ければ1ヶ月だったりなどそれぞれのようですが、

いずれにしてもその都度、契約更新が必要となります。

派遣労働者が派遣会社と結ぶ業務契約は最長でも3年間となります。

 

その後、同じ派遣会社での就労を希望する場合には、

再度契約を締結して同じ職場内で別の業務に就くか、

あるいは別の会社で働くなどの選択もできますが、あくまで労働者の任意となります。

ただし、こうした再契約の留意点として、その後の雇用が

保証されている場合でないと契約はできず、

場合によっては最初の業務契約の終了とともに契約満了となります。

 

 私は年内の契約で期間満了となるので、

そこで派遣会社との契約を終了する予定です。

 

派遣労働者として仕事をしてみて感じたことは、

世間が言うほどに悪い働き方ではなかったですが、

されど決して良い訳でもない、というのが正直なところです。

 

良い点

・上司からのプレッシャーが少ない

・会社の行事に無理して参加する必要がない

・無理して残業をする必要がない

・残業代がきちんと出る(サービス残業がない)

・嫌な職場や仕事でも、契約更新を希望しなければ期間満了となり、自己都合退職とはならない

 

良い点としては、派遣は総じて仕事がしやすいと言えます。

ただし、これらは実際に働く仕事場(派遣先)によりますので、一概には言えません。

かつて短期でやった派遣では、きっちりと残業は要求されましたが、

もちろんその分の時給は発生します。

 

良くない点

・交通費が支給されないので自腹となる

・正社員や契約社員と比べて、同じ業務に就いても時給が安い

派遣労働者は組織においてよそ者扱いとなり、同じ待遇が受けられないことがある

・契約期間が3年なので短い

・職場で評価を得られても昇給が難しい

 

良くない点としては、やはり給与面での格差が顕著だと言えます。

また、契約期間が短いことで、働きやすい職場だとしても3年で

一区切りとなることも考慮すべき点だと言えます。

ただし、交通費が支給される場合もあるようですので、

これまた一概には言えないようです。

 

最近では同一労働同一賃金や働きやすさ改革が注目されていますが、

私の実感としては、こうした制度改革はまだまだ時間がかかると思います。

 

国が提唱した制度というのは民間に浸透するまでに

それなりの時間を要するでしょうし、また、

会社によってはルールを無視して事業を行うということは

十分に考えられます。

 

自分の身は自分で守るという言葉通り、

仕事というのはとにもかくにも最初の契約こそ肝心です。

ここでどういう契約を結ぶかで、その後の仕事人生は良くも悪くもなります。

 

仕事でしくじらないためには、まずはどういう働き方をするにせよ、

最初の契約でしくじらないことが非常に大切だと言えます。

私が学んだこととして、雇用契約の段階で怪しいと思えることがあれば、

きちんと問いただすことこそが我が身を守ることにつながります。

 

そのためには口約束ではなく書類を取り交わすこと、

きちんと契約書を読むこと、

疑問点やわからないことがあればきちんと問いただすこと、

こうしたことがその場で取れるベストの対策となります。

 

それではまた。

 

生きるべきか死ぬべきか再考

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

たまに以下のような質問を見ることがあります。

 

「人はなぜ自殺してはいけないんですか?」

 

私も以前は上記の疑問を抱いていました。

 

死んでしまえば、あるはずの命の尊さや遺族の哀しみなど、

そのダメージは計り知れません。

特に、残された方々の苦しみを考えると、やはり、

自死は慎むべきだと考えます。

 

それでも追い詰められた末の死や、衝動的に行われる死、

そういったものは依然として年間何万件も起きています。

それが日本の現実です。

 

そして、私は現在このように考えます。

 

「人はなぜ自殺しなければならないんだろう?」

 

最近、ネガティブなイメージがつきまとう自殺ではなく、

ポジティブな形での死というものは、果たしてあるのだろうかと

思うようになりました。

ですが、全く答えは出ません。

 

ですから、死ぬということに、もっと徹底的に向き合いたいと思います。

それこそ一生をかけて問うていきたい難題です。

 

自ら死を選ぶということの代わりに、

自ら死ぬ必然性なるものについて、一生をかけて問うてゆくのです。

 

そうした状態こそが、

結局は死を遠ざけてくれるのかもしれません。

死ぬことがやがて馬鹿馬鹿しくなるかもしれません。

 

徹底的に向き合い、とことん生と死について思考しましょう。

せっかく生まれてきたのですから。

ですが、まずは心のケアこそ第一に優先しましょう。

考えるのはその後でも遅くありません。

 

そのためには、どうか早まらないでください。

見ず知らずのしくじりおやじからの一生のお願いです。

 

 

 

早くに人生の航路を決める潔さ

こんばんは。

しくじりおやじです。

 

今日はプロボクシングの世界戦がありました。

テレビで観ていましたが、打ち合い凄まじく実に迫力がありました。

結果、2人の日本人はどちらも勝利しました。

とてもおめでたいことです。

 

試合の内容もさることながら、私が驚くのは選手の若さです。

今日、見事に新王座を獲得した京口選手は若干23歳です。

世間でいえば大学新卒の年齢なので、これから社会人として

活躍していこうという年頃です。

 

ところがその若さで世界一の選手になるボクシング、

ひいてはスポーツのスピード感にはただただ驚きます。

スポーツの世界で30歳といえばベテランに近い域、

40歳といえば大ベテラン、もしくは引退していてもおかしくありません。

 

選手たちは幼い頃からスポーツ一筋で、遊ぶ暇もなくひたすら

スポーツに打ち込んでいきます。誰よりも強くなることを目指して。

そして、極めて優秀な選手は他の選手よりも抜きん出ていき、

その競技での一位、あるいはプロを目指すことになるのでしょう。

競技人生でいえば20〜30年といったところでしょうか。

スポーツという弱肉強食、優勝劣敗の世界でわずかな

勝ち組がいるその背後に、多数の敗者がいます。

しかし、ある意味で極めて凝縮された人生です。

だからこそ人を魅了するのでしょうね。

 

私の人生を振り返れば、この40数年間は

何事においてもとても中途半端だったと思わざるを得ません。

本気で何かをやり遂げたことなどあっただろうか。

いつも途中で諦めてしまっていたような気がします。

そしてずるずると生きてきた結果が、今に至っているのでしょう。

 

これ、他の誰でもなく、自分で選んだ結果なんです。

人生いろいろありますが、

己の人生を人のせいにして生きることはできませんし、

仮にそう思っていたとしても、それはそれで生きづらさを

招くだけのような気もします。

(ただし事故や犯罪に巻き込まれたというような例を除きます)

 

スポーツ選手は引退後の第2の人生を通常の人間よりも早くに迫られます。

その時スポーツ選手がどんな心境なのかは知る由もありませんが、

そこにはある種の潔さが漂っているような気がするのは、

いささか美化しすぎでしょうか。

 

こうしてスポーツ選手のことを書いていてふと気付きましたが、

私たちのような凡人はたとえしくじっても、人生を様々な形で

過ごすことができますし、多少であればやり直しもききます。

たいそうな生活を望むことは叶わないでしょうが、

なんとか暮らしていくことはできるでしょう。

たとえ凝縮された人生でないとしても、その人生の長さを考えれば、

少しくらいダラダラと過ごしたとしても罰は当たらないでしょう。

 

それが何の取り柄もない凡人の生きる術なのかもしれません。

 

それではまた。

 

中年の学び直しは放送大学で始まった

こんにちは。

しくじりおやじです。

 

かつて心理的危機の状態に陥った頃、読書のありがたさを感じたことで

心の回復と再生を図ることができました。

だんだんと本を読むだけでは済まなくなり、

きちんと勉強ができる環境がほしくなりました。

 

そこで、通信教育でおなじみの放送大学に入学しました。

放送大学には心理学、臨床心理学のコースがあり、

これらの勉強がしたくなったのです。

 

世間ではあまり知られていないようですが、

放送大学文部科学省認可の私立大学ですので、

れっきとした大学です。

 

ただし、以下の点は他の大学と異なります。

・通信教育が基本

・通学しなくていいので、自分のペースで勉強できる

・入学試験がない(書類選考のみ)

・入学金、授業料が安い

・4年で卒業しなくて良い(最長12年在籍可能で再入学もできる)

・半年だけ、1年だけ在籍できるお試しのコースがある

・科目数が豊富にある(300科目程度)

・1科目から選択でき、選択した分の授業料のみ支払えば良い

・文系理系問わずに、好きな科目を選べる

・授業料の中にテキスト代が含まれている

・放送授業以外にも、全国の教室で直接授業を受けることができる

・学部は教養学部のみ、学部内に6つのコースがある

・その分野で有名な先生が教えてくれる

 

このような様々な特徴があり、極めてユニークな大学といえます。

私は一人で勉強することに抵抗がないので、

放送大学のシステムは合っていたと思います。

 

大学ですので、授業の内容は初学者には難しい部分もありますが、

あくまで各分野の基礎教育に重点を置いているので、

独学でもなんとかついていけるのではないかと思います。

もちろんそれなりの努力は要請されますが。

 

放送大学で学ぶことの楽しさと深さを知り、

今もゆるゆると学習を継続しています。

そして、心理学の学習を通じて心というもののメカニズムを知り、

そのおかげで自分や他者と向き合う準備ができていきました。

 

好きなことを勉強するのに、終わりはありません。

気の済むまで学び続けることが成長につながるのだと信じています。

 

それではまた。